昨年の1月に慢性腎不全で危篤になり

死んじゃうかもしれなかった我が家の猫トワレ。

あれから1年半経ちますが、不死鳥のごとく生き延びて

今も元気に過ごしてます。

薬などは飲んでなくて、そのかわり

腎臓の機能が衰えているので毎日皮下に点滴をしてます。

病気になった時は半年ほど毎日通院してたんだけど、

自分もトワレも毎日通うのは大変なので獣医さんで点滴のやり方を見て覚え、

今はサクサク自宅でやってます。(そこはそれ。医療系なんで^^)

与えてるレメディーはCarb-v.(カーボベジ)とバーバリスのマザーチンクチャーを時々。

カーボベジはスト先生もお母さまに毎日摂るように伝えてるとか。

活動性の落ちてる老人にぴったりのレメディーだと学びました。

老人と言えば先日78才の父が大動脈のステント術をしました。

術式で必要なため、あえて生きている血管を塞栓させる(詰める、塞ぐ)

ということをしたのですが、

身体は失われた血管を補うために、反対側の部位の血管がいずれニョキニョキ生えてきて

半年後には機能するようになるとか。

なんということでしょう。

父のそれと言い、トワレもですが、

人も動物も身体というのは人智を超えた仕事をするんだなぁと実感します。

トワレの腎機能は底を突き、人間では透析が必要なレベルだったはずでした。

それがわずかな補液だけでこれだけ元気に生きながらえている。

身体が勝手に仕事をし、何かが代替機能を果たしたとしか思えません。

病んだり損傷したりした場所を自動的に修復して再生させていく回復能力。

これらを驚異と言わずして何でしょう?

身体は誰に命令されるでもなくコンピューターやセンサーがあるわけでもなく、

何故そんなことができるのだ?

考えずにはいられない。

どうしてもそこには身体を身体たらしめる何か、

鋳型(いがた)があるとしか思えません。

鋳型に従って、元のものに戻ろうとするのではないでしょうか。

その鋳型こそ、私たち生命の本質なのでは。

そんなことを強く感じ再認識してしまう出来事です。

さて、トワレは食欲も旺盛で体重も増えました。

ただ視力はかなり落ちて、耳も聞こえないみたい。

それでも意欲はそこまで落ちてなくて

刺激を求め、ベランダや玄関の外へ出たがります。

私や家族の膝の上が大好きで抱っこされていると至福の表情を。

良かったです。

トワレが幸せなら私は嬉しい!

この子が穏やかでいられるようになるべく側にいてあげたいな。

これまで私と一緒に生きてきてくれてありがとう。

私の感謝と愛情が伝わるように今日も優しく撫でてあげたい。

トワレにありったけの愛を。

これからもよろしくニャンね。